3・11の防災意識

2022年の今日、ネットやテレビでは、コロナが悪い、ワクチンが悪い、医者が悪い、政治家が悪い…あいつがどうとか、そいつがこう、とか…。いま、主流を占めている情報はただのケンカとその野次馬ばかり。

いやいや、本当に必要なのは争いの決着ではなく、これから皆がどうすれば安寧な暮らしを続けていけるかということではありませんか?

これから2〜30年間どこでどんな災害か、テロか、戦争かに遭遇するかわかりません。今までの歴史にないほど何かがおこる可能性は高くなっています。実際、今回コロナパンデミックで世界の日常生活がひっくり返るほどの騒ぎになりました。

さらに逃げ場のないような天変地異がおき、致死率の高い疫病がまた広まったら…

電気・ガス・水道、貨幣・経済・市場、命さえもが霞の如く消えて無くなっていく光景を目の当たりにした時、いや、できることならそうなる前に一人一人がどうやったら生き抜いていけるのだろうか…を

たまには考えてみても良いと思います。

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ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。  たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。

方丈記 鴨長明 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E4%B8%88%E8%A8%98

『『方丈記』の中で長明は、安元3年(1177年)の都の火災、治承4年(1180年)に同じく都で発生した竜巻およびその直後の福原京遷都、養和年間(1181年~1182年)の飢饉、さらに元暦2年(1185年)に都を襲った大地震(文治地震)など、自らが経験した天変地異に関する記述を書き連ねており、歴史史料としても利用されている。』ウィキペディアより